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「鬼滅の刃」から学ぶ人生訓

老若男女問わず爆発的人気を誇る『鬼滅の刃』。

まさに勧善懲悪なスタイルで物語が展開していきますが、このように異なった価値観の対立に主軸をおく作品って、色々な考え方、人生観を俯瞰させてくれますよね。様々な生き方のサンプルを読者、視聴者に提供してくれる。

登場人物たちが歩んできた十人十色の悲劇、喜劇ともいえる人生、彼らが心得ている教訓が、ファンを絶えず虜にしている理由の一つなのかもしれません。

個人的には正義を振り翳す鬼滅隊のみならず、貪欲な鬼達も魅力的でした。笑

しかし考えてみると、私たちを時たま指南してくれる人生訓って真理に近いものがあるゆえ、いつの時代もほぼ不変。きっと、はるか昔の祖先も未来の子孫も、同じような「生きる」上での疑問にぶち当たる。

だからこそ、こうした「おばあちゃん/おじいちゃんの知恵」的な教訓って、どの時代でも通用するのかもしれない。

そして、現代ではネットを通せば地球の向こう側の「知らない誰か」に啓発してもらえるし、こうしてアニメや映画を通して閃きを得ることも可能なわけで。いい時代に生まれたものです。

閑話休題。

大正時代の日本を舞台とする『鬼滅の刃』では、日本に浸透している仏教や神道の世界観が色濃く描写されています。なので、仏教徒である祖父母や空手の先生が幼少期に口酸っぱく語ってくれた「教え」をふと、想起させるものがありました。

本記事では、『鬼滅の刃』から私が感じ取った二つの教訓「克己心」、「盛者必衰」について紹介します。

もくじ

1.  はじめに:神仏習合とは

日本では、神道・仏教という異なる二つの宗教文化が1000年以上にわたって融和・共存しています。

参考文献:https://afflu.jp/features/201804/

  • 神道:鳥獣、山川草木、地水火風に至るまで自然の生命には霊的な存在が宿ると考える、日本独自の宗教。森羅万象に神を感じる「八百万の神」という考え方を古くから持つ。
  • 仏教:創造神を立てず、瞑想によって悟り(解脱)を得ることを重視する宗教。

『鬼滅の刃』に出てくる登場人物は、まさに神道が由来の「八百万の神」を想起させます。

のみならず、登場人物たちの積み重ねた身体の鍛錬による精神的な成長は、仏教の目指すところ(解脱)に近く、「武道の精神」でも同じことが言えるなぁと思いました。

というのも、武道では身体能力の向上もさることながら、精神の成長を大きく重視します。

例えば、空手道では稽古をはじめる前は正座、道場訓を唱え、黙想をする。試合稽古の際は、戦いの始めも終わりも必ず「礼」をし、対戦相手に対し敬意を顕す。

このように、仏教は精神的な成長を非常に重視し、哲学に通ずる部分も多いです

実際に、世界でも禅や瞑想(マインドフルネス)、ヨガなど仏教から派生したカルチャーが注目されていますが、こうした取り組みを社員プログラムに取り入れる企業*も増えているそうですですね。

*米国防総省, 米農務省, Google, Intel, IBM, Facebook etc. The Officeでやってるの想像したら笑っちゃった。

肉体と精神は表裏一体とも言いますが、まさに両者どちらも重視する武道や禅の精神は、数百年の時を経てメインストリームになりつつあり、『鬼滅の刃』はそうした精神を垣間見せてくれます。

2. 「克己心」について

戦場において百万人に勝つとしても、

唯だ一つの自己に克つ者こそ、実に最上の勝利者である。

原始仏教経典『ダンマパダ』 Tweet

私の好きな言葉のひとつが「克己心」ですが、「自分の欲望などを抑える心、自分に打ち勝つ力」を意味します。

基本的に鬼滅隊メンバーは、憎しみや復讐心といった欲望をバネに闘っていましたが、炭治郎や日の呼吸の始祖の縁壱は、怒りも憎しみも、殺気も闘気もない境地に到達した領域とされる「至高の領域」に達しました。

この「至高の領域」とは、「克己」を成したものが辿り着く境地であり、仏教の教えから言わせれば喜怒哀楽を超えた「悟り、解脱」、ニーチェから言わせれば「超人」に近いものとも言えます。

例えば煉獄の父親は柱として栄華を極めていたにも関わらず、己という心に負け、酒に溺れた生活をしていましたよね。

どんなに強靭な肉体を持っていても、それに見合った精神、誘惑や欲望といった煩悩に折れない強い精神を持ち続けることこそ大切なのかもしれません。

と、大層なことを言いつつも、言うは易く、行うは難し。私はまだまだ誘惑や欲望に流されておりますので、精進いたします。笑

しかし、必ずしも全ての欲が悪いとは思えないし、人間たらしめるのもそこなんですよね。

なので結局「程度」の問題はありますが、自分の喜怒哀楽に「気づき」、ただその感情の奴隷になるのではなく、「克己」できる人間になりたいな。この「克己」も、ある意味で、より人間たらしめるところなのかもしれない。

あとちなみに、無限列車編で炭次郎の心の無意識領域が描写されていましたが、あれは神道でいう清き明き心、明鏡止水*な顕われではないかと思いました。

*明鏡止水:邪念がなく、澄み切って落ち着いた心の形容。 

3. 「盛者必衰」について

「老いることも、死ぬことも、人間という儚い生き物の美しさだ。

老いるからこそ、死ぬからこそ、堪らなく愛おしく尊いのだ。

強さというものは肉体に対してのみ使う言葉ではない。」

まさに『鬼滅の刃』は、永久不変(鬼)VS 諸行無常(人間)をテーマとして取り扱っていますが、無限列車編で煉獄が語った一言は、まさに核心をついてますよね。

永遠に死なない猫、犬。

崩れない顔、若い身体と頭脳。
永遠に続く幸福な時間。

有限という時間の中で生きる私たちは、きっと皆、永遠が欲しい。でも、「はじまり」があるものには必ず「終わり」がやってくるし、全てがいつかは無に還る。

仏教語で『徒然草』にも用いられる「盛者必衰」という言葉がありますが、「今、栄えて絶頂にいる者も、必ず衰える時がくる」という教訓で有名です。

今か今かと桜の開花を待望し、咲いては散る「諸行無常」の光景を自分の人生と重ねてしまったり、花火が上がっては消えていく風景をみて写真に残そうとする行為も、「永遠」、「記憶」を留めておきたいという思いから来ているのかもしれません。

そうした人類の行い全てが忘却に消える時は明日かもしれないし、何億年も後かもしれないけれど。

そして、こうした諸行無常な風物詩を死ぬまでにあと何回見れるのだろうとか考え始めると、光陰矢の如し、人の一生もきっとあっという間に、儚く感じられるのかな。

4.  哲学的命題

「永遠が欲しい」、そんな思いで鬼になった人間たちも登場していましたが、同じような欲望は現代社会でも渦巻いていますよね。

例えば、科学技術が発展するに従って、私たちの身体機能は確実に拡張しています。

脳内に記憶するのではなく、携帯電話などの端末に情報を入れておいたりとか。私たちはサイボーグ化しているといっても過言ではない。実際私の目も医療目的のサイボーグと言えるし。笑

もし、脳と神経系以外の全てをサイボーグ化して、何らかのブレイクスルーによって半永久的に生きられる人生が可能だとしたら、あなたはどうしますか?

ってエピソードがPSYCHO-PASSにもありましたよね。笑

でも、本当に「肉体という魂の牢獄」を捨て、無限を「生きる」ことが可能となったとき、人間はどういう選択をするんだろう。

また、最近ではドーピングの技術*も進化して、高度な「遺伝子ドーピング」によって身体能力の向上、鍛錬を図ろうとする動きも増えています。

科学技術の発展と比例するように倫理的問題も増え、正義とは一体何なのか改めて考えさせられますね。

*参考:https://bio.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/082400016/090500089

人間が欲望によって発展し、同時に破滅への道を進んでいるのかは神のみぞ知るところですが。

5.  最後に

「光り輝く未来の夢を見る。 大切な人が笑顔で天寿を全うするその日まで幸せに暮らせるよう、
決してその命が理不尽に脅かされることがないよう願う。 たとえその時自分が傍らにいられなくとも生きていて欲しい。 ただひたすら平和な何の変哲もない日々がいつまでもいつまでも続きますように。」

漫画の最終巻で上記のメッセージが綴られていたのですが、あぁ本当これに尽きるな、って思いました。

私事ながら来週25歳になるのですが、これまでを振り返ってみて、ひとつひとつの一期一会や新しいものに出会った時の閃きが、今の私を象ってくれているのだとヒシヒシと実感します。

で、こうした一期一会や閃きって本当に「バタフライエフェクト」だなぁって。

自分の赤の他人だと思えるような人の行動や感情が、波及して私の「今」を形どってくれている。で、その逆も然りなのだと。

実際に「3次の隔たり」という研究があり、遠い繋がりの人の感情や行動までもが自分に影響をもたらすという研究結果があるらしいです。例えば、上司の奥さんがハッピーだと上司もハッピーになり、それにより部下のAさん、その奥さんもハッピーになりやすい、みたいな。笑

だから、自分たちの大切な人の大切な人、またその大切な人まで、みんな有難う。そんな気持ちでいっぱいな今日この頃。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。