「実践的ではなさそう」「フワッとしてて抽象的な問題を考える学問」など思われがちな哲学。
実際、私も大学に入るまで哲学という分野に興味のきの字もありませんでした。
哲学大国のドイツに留学してはじめて、やっと哲学の大切さに気づいたくらいです。
まだまだ修行中の身だし、専門用語はまだついていけない私。
だからこそ、なるたけ分かりやすく「哲学」の魅力を本記事ではお伝えしていけたらと思います。
哲学とはツール
語学って、意思疎通を行うためのツールですよね。
様々なバックボーンを持った人達とコミュニケーションを取って、交流できたとき「語学勉強してよかったな、楽しいな」と実感します。
哲学も同じです。
哲学は自分なりに善く生きるためのツールで、自分の人生を幸せに生きるコツ・テクニックを教えてくれる学問だと思います。
別の言い方をするならば、哲学とは、自分がどのように考え、どのような目的をもって生きていくか、自分の頭で根本から考えていくこと。
そして、そのヒントを与えてくれるのが、過去の哲学者達が一生をかけて考え続けた成果なのではないでしょうか。
常識や偏見を疑う
ルソーが語ったように、私たちは人生の限られた時間の中で、様々な選択を迫られます。
そして大きな決断を迫られる度に、私たちは実は哲学しているんです。
就職活動など進路を考える時も、恋愛を考えるときも、”WHY”や”HOW”を問い続けませんか?
自己分析という言葉をよく耳にしますが、あれも一種の哲学だと思います。
自分とは何者で、どういった意思を持っていて、何を成し遂げたいのか。
「なぜ?」「そもそもなんぞや?」こうした疑問を2,3度続けると、大抵哲学にぶち当たります。
哲学は常識に関して疑問を持ち、再考することが求められる学問です。
だからこそ、偏見に縛られずに自由な発想をする習慣がつきます。
これはビジネスにおいても人間関係においても、役に立つ習慣になるはずです。
なんと速やかに我々はこの地上を過ぎて行くことだろう。
人生の最初の四分の一はその使い道もわからないうちに過ぎ去り、 最後の四分の一はその楽しさを味わえなくなってから過ぎて行く。
しかもその期間の四分の三は、 睡眠、労働、苦痛、束縛、あらゆる種類の苦しみによって費やされる。
人生は短い。
ジャック・ルソー(フランス哲学者) Tweet
そもそも、私たちは義務教育を通して、すでにある問いに回答する力を養います。
そして、大半の人は自分で問いを設定するスキルを学ばずに大人になるのではないでしょうか。
例えば、
●私たちは当たり前のように地位・名誉・財産を求めますが、なぜなのだろう?
●その地位は本当に必要なのか?財産はどれほどあったら自分は満足するのだろう?
●人にどう思われたいかではなく、自分が心地よく感じるかどうかを基準に考えているのだろうか?
●なぜ人は嫉妬や憎しみを抱くのだろう、自分はどうだろう?
●不倫は禁止されている行為なのに、なぜこうした題材のドラマや映画が多いのだろうか?
他にも、身近な疑問を投げかけてみると、限られた病院のベッドやワクチンを、まず誰に分配するのか。
そして何故そういった考えに帰結したのでしょうか。
このように、哲学は物事の表面的な理解に留まらず、物事に関して深く考察することが求められます。
だからこそ日常の自分の行動の動機や目的を深く考えるといった習慣を与えてくれるのではないでしょうか。
価値観を広げる
情報量が圧倒的に多い現在では、個人が何を信じれば良いか、何が目的で目標なのか不明瞭になりつつあります。
SNSでいえば、自分のフォローしている人、つまり関心のある人の情報しか入ってこない。みたいな。
手段は完全に近づいたというのに、肝心の目的がわからなくなったなんて考えてみれば面白いですよね。この時代の特徴とも言えるかもしれません。
仕事をしていても、KPIは決定しているがKGIを明確化できていない、みたいな案件沢山あると思います。
だからこそ、多様な価値観や考え方の指針を示してくれる哲学は、価値観をより柔軟にしてくれると同時に将来の可能性を広げてくれると信じています。
最後に

拷問や死刑制度、資源の配分など人類は様々な問題を何千年と抱えてきました。
こうした難解な命題に一つの解を出すことは出来ませんが、こうした論争をしていると必ず哲学的立場が問われます。
少数と多数、弱者と強者、公平性と効率性。
どれに比重を置くべきなのか考えるのも哲学の役割です。
こんな感じで、哲学をしていると、自然と人類の歴史やこれから来たる未来について思いを馳せることがしばしば。
そしてその思いを誰かと共有し、新しい知見を得たいのが胸の内。
また近いうちに、哲学について本ブログで綴っていきます。
最後までご一読、ありがとうございました!